先日、ロンドンで開催されたテレパシーに関する公聴討論会に出席しました。私の論敵はルイス・ウォルパート教授、科学界の重鎮です。ウォルパート教授の主張は「テレパシーは存在しない」というものでした。彼は自分の意見を裏付ける証拠をひとつも提出しませんでした。まるで「自分に同意できない人はどこかおかしい」とでも言わんばかりに、同じ主張を何度も繰り返すのみでした。私はというと、何千回にもおよぶ科学的な実験の結果をまとめ、テレパシーの存在を証明しました。また、最近おこなった実験のビデオも公開しました。でも教授は「そんなこと知りたくもない」とばかりに、スクリーンから目をそむけました。
聴衆の80%以上は教授に異議を唱えました。それに大半の聴衆は自分自身でテレパシーを体験していました。なかでも電話にまつわる体験……ある人物のことを考えたとたん電話が鳴るという体験……が多かったです。イギリス全体を見回しても同じような状況にあります。ほとんどの人々は超能力の存在を信じています。なぜなら、超能力を自分自身で体験したり、ペットの超能力を自分自身で目撃したりしているからです。
でも少数の人々は「超能力は存在しない」と信じています。そんなものは迷信に過ぎないと一笑にふします。そういう人々は事実に目を向ける意思が元々ありません。ウォルパート教授と同じく、「真実はいわずと知れている」とかたくなに信じているのです。しかし科学は独断ではなく証拠に基づくべきです。これまで本欄でお話してきたとおり、事実は超能力の存在を強く支持しています。証拠に基づいて超能力の存在を受け入れるのは科学的な態度です。それに対して、無知に基づいて超能力の存在を否定するのは非科学的な態度といえます。もちろん疑念を抱くことは必要かつ健全な態度です。人から言われたことをすべて鵜呑みにするのは愚かな行為です。でも真の懐疑的な態度とは、心を開いて現象を探求することであり、鼻から否定することではありません。
なぜ一部の人はテレパシーをそれほど恐れるのでしょうか?たぶん自分の心の内を覗かれたり、自分の考えを悟られたりすることを恐れているのだと思います。また「自分の信条に反するから」という理由でテレパシーを否定する人々もいます。その信条とは、「心は頭の中に限定されている。それは単なる脳の活動に過ぎない」というものです。しかし、テレパシーが存在するということは、自分が親しい人々やペットとお互いにつながっているということを意味します。ほとんどの人々にとって、それは怖いというより安心できる考えなのです。